日本に住んでいると、普段の生活の中では自分が「日本人である」ということは全く意識しないものです。
日本が島国であることや、生まれた時から日本人の親の元で育ち、日本人の友人たちと日本語で成長したというバックグラウンドから考えると、それはむしろ自然なことかもしれません。
しかし、一歩日本の外に出れば、アナタの行動ひとつひとつが「日本人のもの」として捉えられてしまいます。
目次
人は気づかないうちにいろんな肩書きを背負っている
私が海外に出てみて初めて気づいたことは、人は誰しも実はいろんな肩書きを持っているのだということ。とてもシンプルなことなのですが、ふだんは全然気づいていません。
例えば、オーストラリアに語学留学した時の私は、「アジア人」であり「日本人」で、そして日本人の友達もいましたのでその社会の中では「東北人」で「仙台人」でした。また語学学校には幅広い年齢層や、様々な立場の人がいましたので、その中での私は「大学の交換留学生」でした。
行ったことのない国に対するイメージは?
では反対に、私たちがこれまで出会った外国人から受け取った【イメージ】についても考えてみたいと思います。
私はこれまで様々な国の人と出会ってきましたが、その中でも抜群に思い出深かった【イメージ】と【真実】のギャップについてのエピソードをご紹介したいと思います。
① インドネシア人エリンのスープ
私が高校生のときに、同じクラスにインドネシア人留学生のエリンがやってきました。
当時の仙台にはまだまだ外国人が少なくて、インドネシア人と出会えるチャンスなんてめったにないことだったので、みんなエリンに興味津々でした。
ある日の家庭科の調理実習の時に、みんなでエリンに『インドネシア料理を1品作ってみてくれ』と無茶なお願いをしました。エリンは相当困惑していましたが、みんなの期待に応えようと健気にも即興で料理を作ってくれたのです。
そこでエリンが作ってくれたのが、「切ったほうれん草をお湯に入れて、そこに砂糖をどっぷり入れる」という強烈なスープでした。
それをみんなで試食して、正直みんな内心『オエーッ』となっていましたが、私を含めそこにいた全員が『インドネシア料理ってこういうものなのか〜!』と素直に受け入れました。
その後、私はエリンととても仲良くなり、エリンがインドネシアに帰国してすぐの、高校2年生の春休みに、インドネシアにエリンに会いに行きました。
エリンの家でホームスティをさせてもらいながら、3週間もの長い間、インドネシア中を旅して歩いたのです。
エリンのお母さんはかなりの料理上手でしたが、一度もそれは出てこなかったのです。
そのとき私はやっと、実はエリンは料理をしたことがなく、見よう見まねで作ってみたのがあの砂糖入りほうれん草スープだったのだと気付きました。
もし私があのままインドネシアと無縁な生活を送っていたとしたら、私の中でのインドネシア料理はきっと今でも『砂糖入りほうれん草スープ』のイメージのままだったのです。
もしかしたら、あの時一緒に食べた同級生の中には今も「インドネシアのスープって砂糖入ってるんだよね〜」と思っている人がいるかもしれません。
② アタッシュケースのブルガリア人
私がオーストラリアに語学留学していたときに、同じクラスに一人だけブルガリア人の男の子がいました。彼はとてもユニークな風貌で、金髪に青い目、透き通るような白い肌の美少年なのに、服装が刑事コロンボで、いつも変なサングラスに謎のアタッシュケースを持っていました。
その風貌からも彼が相当な変わりものであることは予測できましたが、実際に同じクラスになってみて、彼が想像以上にイヤなやつだということがわかりました。
彼はヨーロピアンなだけあって、英語はペラペラでした。そもそもなぜ語学学校にいたのか謎なのですが、討論の時間になると決まってクラスメイトのアジア人を露骨にバカにするのでした。
私が言われたのは、
- 「お前の英語は赤ちゃんレベルだな」
- 「日本って中国の一部でしょ?むしろその方がいいよ」
- 「日本人は着物を着ているべきだ、そうしないと短足なのがバレるから」
などなど、本当にしょーもない子どもじみたことばかり言う人でした。
そして彼は、彼の母国ブルガリアをとても誇りに思っていて、「ブルガリア語が世界で一番難しい言葉なんだ、それを使いこなすブルガリア人はIQ値がキミたちよりも抜群に高いのだよ」とか「いつかブルガリアが世界を征服する」とか訳のわからないことを言う危ない子でした。
これでこのクラスにいたアジア人全員が、「ブルガリア人って、変なやつなんだな」というイメージをしっかりと焼きつけられたのは言うまでもありません。
私はまだブルガリアに行ったことがないですし、彼以外のブルガリア人にまだ出会っていないので、私の中でのブルガリア人は、「変なやつ」のままです。
おそらく実際にブルガリアに行ってその素晴らしさを体感し、親切なブルガリア人と出会うことができれば、あのアタッシュケースの変人のイメージは、すぐに塗り替えられることになると思います。
③ もしもアナタが唯一の日本人だったら
上記2つの経験談を通してわかることは、出会う人から受ける【◯◯人のイメージ】って、自分が思っているよりも圧倒的な影響力があるということ。時としてその責任の重さに、ちょっと怖くなってしまうほどです。
日本代表としての意識
というわけで、海外に出たらぜひ、自分は【日本人代表】であるということを意識して行動してみてください。
アナタが与えるイメージの一つ一つ、アナタがとる行動の一つ一つが、外国人にとっては「日本人ってこんなことするのか」という解釈になってしまいます。
① せっかくなら良いイメージを持ってもらいたい
そしてぜひ意識したいのが、海外では私たちは【日本代表】としてイメージを与える側なのですから、できる限り「良いイメージ」を持ってもらえるように行動すべきであるということ。
ひと昔前の日本人のイメージといえば、ワンレンボディコンでブランド品を買い漁るとか(古い)、首からカメラを下げて団体で行動するとか(これも古い)、そんなイメージでしたが、最近では国際的な人も増えてきたので、マナーの良い日本人というイメージも定着してきました。
② コツは自分を俯瞰してみること
日本人代表として【日本のイメージ】を良くしていくためには、私たちは自らを客観的に見つめて、それが国際社会的にOKなのかどうかを正しく判断しなければなりません。
これは対・外国人だけの話ではなく、私たちは生きている限り様々な肩書きを持ち替えて生活しているわけなので、例えば私の場合なら、「東北代表」として、または「仙台代表」、「子育てしている母親代表」とかいろんな角度から【イメージ】をバラまいていることを、ちょっと離れた視点から見て確認し続けることが必要です。
まとめ
日本人代表であるという意識はできましたでしょうか?
海外に出る時は、間違ったイメージを与えないよう日本のこともよく勉強しておくことも必要ですね。決して砂糖入りのほうれん草スープを提供しないように気をつけましょう。
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