こんにちは、のりこです。
最近ホットヨガを始めまして、今朝も8月の猛暑の中、さらにホットなヨガスタジオで汗だくつゆだくになって硬い身体を伸ばしてきたわけですが。
今日はそのホットヨガのインストラクターの方が言った言葉の一つがなんだかとても引っかかって、ヨガの間中それについてずっと考えていました。それは、
『誰かと比べるのではなく〜、自分のペースで行ってください〜』
というものでした。
目次
『人と比べず、自分のペースで』
確かに、ヨガ初心者なら誰でも、自分一人だけが違う動きをしていたらちょっと恥ずかしいので、ついつい周りを見てしまいますよね。
しかも運動音痴な私は、インストラクターが言う『ここを〜こうして〜ああして〜』みたいな優しくささやくポジションチェンジの指示がよく理解できなかったりもします。
そんな時はつい、おとなりさんがどうやっているのか、自分だけ変じゃないかを確認してしまいます。
① 人と違っていたら恥ずかしい
なるほど、このヨガのケースで考えるとわかりやすいですね。要するに「他人と違うことをしたら恥ずかしい」と思うのが日本人なわけです。
なぜなら、子どもの頃から『みんなと同じ』が望ましいと教わってきたんですもの。
- 同じ制服を、同じように着こなすよう規則があり
- 髪型も似たりよったりな感じに決められ
- ちょっとでもそこからハミ出そうものなら「変わった子」もしくは「不良」と言う枠にカテゴライズされる
こんな風に、日本人が当然のようにしてきたことは全て、『みんなと同じ』になるためのことばかりだったのです。
そして、
『みんなと同じ』になるためには必ず【他人と自分を比べてみる】ことが必要になる
というわけ。
だって、他人と自分を比べてみなければ、自分がその平均値圏内にちゃんと入っているかどうかがわからない。
入っていなければ即『変わった人』決定です。それは恥ずかしい(と日本人は感じる)ので必死で平均値に入ろうとします。
② 比べることで知る、客観的な自分
ちなみに今朝のヨガでは、私の斜め前にとてもスタイルの良い女性が一人いて、彼女はやけにヨガ慣れしていて身体も柔らかく、ポーズも美しかったのでずっとその彼女をお手本にしながらやっていました。
しかし鏡に映ったのは、細くしなやかな彼女とその後ろにいるゆるキャラみたいな体型の私。
同じポーズを決めているはずなのに、なんかちょっと様子が違う。
すると私の頭の中では条件反射的に、彼女と自分の比較が始まるのです。
- 腕が細くていいなぁ→ (私の腕はプロレスラーみたいだな)
- ウェストもくびれてるなぁ→ (私だって若い頃はちょっとくびれてたのに)
- 体、柔らかいなぁ→ (いやマジでストレッチしないとやばいぞ私の体)
- ヨガやってますって雰囲気だなぁ→ (私はいかにも運動できませんって雰囲気でてるなぁ)
でもそこで彼女と比べることによって、私は客観的に自分を見ることができたのです。
私は『ステキな主婦』を目指しているわけですが、自分一人で鏡を見ていてもどんどん『ステキ』のストライクゾーンが広くなって基準値が甘くなり、今のゆるキャラ体型に辿りついたわけです。
なんとなく『人と比べる』ということはまるで『悪』みたいな意見が広がってはいますが、今朝の私は人と比べることで客観的な視点から自分を見ることができました。
そして『自分の理想の姿』にもう一度気づかせてもらえたのです。
人と比べる日本人
日本人は一般的に欧米人と比べると自己肯定感が低く、自分自身を誰かと比べては劣等感に苛まれていたりするのだそう。
常に基準が『周り』になってしまっていることが原因とも言われています。
- 学校では相対評価
- デキのいい兄弟と比べられた
- 金持ちの友達と買ってもらえるおもちゃが違った
- 容姿の良い友達が明らかにチヤホヤされた
- 親に褒められてこなかった
欧米諸国のように『愛してるよ』とか『アナタを誇りに思っているよ』とか、わかりやすい愛情表現や無条件の存在価値の肯定をされずに育ってしまうのが一般的な日本の家庭。
そんな日本人は、極端なまでに自尊心が育っていないのです。
WH〜Y⁈ ジャパニ〜ズピ〜ポ〜!
今回『人と比べる日本人』について調べを進めているときに、たまたま見つけた記事の中に、IT会社役員とお笑い芸人の2つの顔を使い分けるという厚切りジェイソンさんの言葉があり、それにとても感銘を受けました。
Q. 友達家族と自分の家族を比べてしまい、卑屈になってしまいます。距離をとったほうがいいのでしょうか……。
という読者さんからの相談に対する厚切りジェイソンさんの答えがこちら。
A. そもそも自分の内面と相手の外見を比較するのは論理的じゃない! 自分にないものを持っていると勝手に思っているだけ。(厚切りジェイソン)
この意見って、すごいな〜!と心の底から感動しました。確かに私たちが比べている対象は、『自分の視点から見た相手の外側』だけなんですよね。
▽思わず買ってしまいました、この本(^。^) ベストセラーにもなったのだそうです▽
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仲が良い女友達が金持ちの男と結婚したとすると、私たちはつい「住んでいる家」とか「乗っている車」「着ている服」「旅行の回数」「子どもにかけられる学費」など目に見える部分での違いだけをみて、それと自分を比較しては、自分だけが損な人生を生きているような気分になってしまいます。
でも実際は、その家庭が本当にハッピーかどうかは誰も知らないし、自分たちが同じようにお金をかけられなかったとしても、それが不幸かどうかを決めるのは、自分の心だけなのです。
比べることの「良い点」と、その活用方法
ついつい他人と比べてしまう日本人。その理由は
- ダイレクトな愛情表現がなかったことや、
- いつも誰かと比べられてきたこと、
- 他の人と違うことをすればまるで異端児扱いされる社会
などが背景にあることがわかりました。
長年培われてきた『人と比べる』文化ですが、これだって考えようによっては悪いことばかりではありません。
人と比べることができるからこそ、
- 独りよがりの考え方や、人に迷惑になることはしないように心がけるし、
- 目標や『こうありたい』と思うものの基準値がブレないし、ブレても直せる
というわけです。
私は今朝のヨガ美人に会わなければ、この先もずっとゆるキャラのままでした。
ただし、人と比べた時に【自己肯定感】が低いと、つい『劣等感』になってしまったりしますので、その時は厚切りジェイソンを思い出せば良いのです。
『そうは言ってもそれは相手の外見だけ。自分にないものを持っていると勝手に思っているだけ』
まとめ:となりの芝は青く見えるが、実は自分の芝だって悪くない
となりの芝はいつも青々として見えるけれど、もしかしたら、ただの人工芝かもしれない。もしかしたら、根っこは腐っているかもしれない。
綺麗に見えてもそれは外見だけの話で、本当のことはわからないし、自分には関係のないこと。
そして『となりと比べてうちの芝は枯れやすい』とか『なんかまばらで綺麗に見えない』とか、ついそんなことばかり考えてしまいますが、実は自分の芝だって、となりから見たら青々と綺麗に見えているかもしれないのです。
自分の芝を綺麗にしてあげられるのは自分だけ。
あなたの芝だって、他人にはあなたが思っているよりずっと綺麗に見えているかもしれませんよ。
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