今日30年ぶりくらいに『うんてい』をしたら、自分の体重を片手で支えられなかった、のりこです。
日本では今、自分の子どもをバイリンガルに育てたいと思う親たちが増えているそうです。そのために小さいうちから子どもをせっせと英会話教室に通わせる親が非常に多いのだとか。
自分の子どもには、できるだけ不自由なく英語を話せる人になってほしい。
親なら誰しもそう思うもの。
しかも子どもが小さければ小さいほど、
- 習得のスピードは爆速、
- 発音はネイティブに近く、
- それでいて『遊びの感覚』から英語に触れられるから苦手意識がゼロ、
といいことだらけ!なんていう情報も飛び交っていることから、親たちはできるだけ子どもが幼いうちから英語に触れさせようと必死になります。
目次
子どもをバイリンガルにしたい親心
① そもそもバイリンガルって?
『バイリンガル』と一口に言っても、その中にもレベルがあるって知っていましたか?
- 均衡バイリンガル(両方母語レベル)
- 偏重バイリンガル(片方母語、片方は後付け)
- セミリンガル(両方とも微妙)
こんな感じで大きく3段階に分けることができるんだそうです。それぞれをちょっとだけ説明すると、
1. 均衡バイリンガル(両方母語レベル)
子どもの頃から二つの言語を均等に使い、読み書きも含めてどっちの言葉も母国語レベルの人のこと。自分の子どもを『バイリンガルにしたい!』と夢見る親がいつも目指している場所はここです。
2. 偏重バイリンガル(後付けタイプ)
これが世の中に数多いる『苦労と努力を積み上げて英語ができるようになった人』のような、自分の母国語の他に第二外国語を自らの意志と努力で習得した人のこと。
でももちろん母語レベルではないので、後付けで学習したほうは劣化も激しいのが難点。
3. セミリンガル(両方微妙)
このセミリンガルと言うのは、2つの言語を両方ともそれなりに話せはするんだけど、どっちも読み書きになるとダメだったり文法がめちゃくちゃだったりと、『どっちの言語も中途半端』になってしまったケース。
日本で生まれ育った親たちは、自分が1つの言語しか話さない『モノリンガル』であることや、偏重バイリンガルになるまでの道のりの長さと険しさを知っているだけに、かわいい我が子には極力『先天的』に近い形で、物心つく前に英語をインプットしてしまいたい気持ちでいっぱいなのです。
② 英語を芸の一つと考えている?
また、子どもに英語を習わせている親の多くが、傾向的に『英語は芸の一つ』だと考えているところがあるようです。
ピアノやバイオリンといったお稽古ごとの、もう一つのチョイスとしての『英会話教室』。色々通わせてみて本人がどの分野に興味を持ち、才能を開花させるかを見極めるためという目的がほとんど。
そのノリで週に一度、1〜2時間だけ英会話教室に通わせてバイリンガルになれるほど語学習得の道は易しくはないのですが、
英語を子どもの一芸にしたいと思う人はついつい、『英語を話すこと』を目標にしてしまうので、子どもにとってはさほどの楽しさ見出せないまま、結局は何も身にならないまま飽きてやめてしまうことが多いのです。
シンガポールの言語学習事情
私が7年間住んでいたシンガポールでは、よほどのお年寄りを除いて全員がバイリンガルでした。
シンガポールは多民族国家。中国系、マレー系、インド系など様々な人種が混ざりあいながら共存しています。そのため公用語は『英語』なのです。
① 公用語としての英語教育は幼稚園から
家庭の中や同じ民族同士で話す時は、それぞれの母国語を使うシンガポール人。でも1歳半くらいから始まる幼稚園を皮切りに、その後の教育はすべて英語で行われています。
だから彼らの話す『シングリッシュ』は、発音に関してはそれぞれの母国語の訛りを最大限に残していますが、読み書きリスニングはほぼネイティブと遜色ないくらいの実力なんです。
のりこ
② 母国語の読み書きが微妙になった
シンガポールでは、子どものうちから【家では母国語、外では英語】という生活を送ってきたので、第二外国語である英語も、ほぼ『母語』と言っても過言ではないくらいしっかり浸透してきました。
ところが、あまりにも英語教育が普及してしまったら、今度は母国語の方がおろそかになってしまうシンガポール人もちらほら出てきてしまったのです。(´⊙ω⊙`)
家では家族と母国語で会話をしているので『聞く、話す』については問題ないのですが、どうしても「読み書き」がおろそかになってしまい、中には『読めるけど書けない』という輩が出始めたというのです。
のりこ
だからと言って英語が完璧かというと、かなりできるが100%ネイティブではない。結果的に【英語も母国語もどっちもネイティブになれない中途半端な人たち】が激増したというわけです。
それを知ったシンガポール政府は、これまではずっと『きれいな英語を話そう!』と言っていたのに、急に『母国語もちゃんと学ぼう!』とわざわざお達しを出したりしていました。
毎日触れている2つの言語でも、やはりどちらか一方がメインになると、もう一方の方はどんどんおろそかになっていき記憶から抜け落ちてしまうほど、言語は『維持』するのが大変なものなのです。
バイリンガルに育てるのは超ハード
実際に私には外国人と結婚して海外に住んでいる友人が数組いるのですが、彼らもまた子育てには彼らなりの悩みがあるようです。それは、
海外に住んでいると、子どもに対しては『意識的』に日本語を教えなければ、日本語をまったく話さない子になってしまう。とはいえ幼い子どもに自分が一人で日本語を教えるほどの心と身体の余裕はない。
というもの。
彼女たちだって、せっかく外国人と夫婦になって海外にすんでいるのだから、我が子にはできるだけ多くの言語を『苦労せずに』習得してほしいと思っています。
でもそれがなかなかうまくいかないのが現実なのだそうです。
① 海外に住んで、両親が日本人の場合
両親ともに日本人の家庭が何らかの事情で海外に住んでいる場合。この場合は子どもがバイリンガルに育つ可能性は一番高いと思われます。
家では家族が自然と日本語で話すが、学校や社会に出ればそこは英語オンリー。英語を使う時間の方がやや長いにしても、バランスよく2つの言語が学べるパターンです。
② 海外に住んで、どちらかの親が外国人の場合
これが私の友人たちのケースですが、この場合、子どもはほぼ英語オンリーになりやすいようです。
たとえ一緒に過ごす時間が一番長いお母さんがずっと日本語で話しかけていたとしても、外国人のお父さんが帰ってきたら家の中の会話は全部英語に切り替わります。その他テレビを見ても公園に遊びに行ってもスーパーに買い物に行っても、そこは英語だらけ。
そんな環境の中でお母さんが日本語でひたすら話しかけていても、だんだん『独り言を言っているみたいで馬鹿らしくなってくる』のです。
要は、親と環境、その両方を合わせて『触れている時間が長い方』の言語が習得されやすいと言うわけですね。
③ 日本に住んで、どちらかの親が外国人の場合
② と正反対のパターンがこれ。どちらかの親が英語を話す外国人だったとしても、子どもを取り巻く環境のすべてが日本語ならば、習得する言語は日本語になっていきます。
そして子どもが日本で思春期を迎えると、
- 言語習得以外のことに目が向くので、自分が何ヶ国語話せるとかは興味なくなる
- 自分は一体何人なのかと疑問に思い始めたりする
- 無意識に、「みんなと適合したい、特別な子にはなりたくない」という気持ちが強まる
こんな心境が生まれてくるのだそう。日本特有の『みんなと同じでいたい』という心理が働くようになると、そこまでバイリンガルでやってきた子どもも、急に英語に対する興味がなくなったりすることも。
『バイリンガル=すごい人』となってしまったら、日本では浮いてしまうのです。
④ 日本に住んで、両方の親が日本人の場合
これが日本の一般家庭ですよね。この場合は英語をネイティブレベルで習得するのはほぼ不可能と思ってOKです。
上記①〜③からもわかるように、言語習得は『触れている時間が長いもの』を吸収することになっているわけですから、24時間すべての生活が日本語で完結してしまうような環境で違う言語を習得するならば、インターナショナルスクールに通うなど、1日の大半を過ごす場所を英語に変えるなどの工夫が必要になります。
モノリンガルの人ほど子どもをバイリンガルにしたい
ただし、上記でご紹介したケースはいずれも、親が子どもに『均衡バイリンガル(両方母語レベル)』になることを求めた場合のものであって、インターナショナルスクールに入れなかったからと行ってバイリンガルになれないというものでもありません。
本人の意思さえあれば、いつから学習を始めたってバイリンガルになることは可能です。
ことモノリンガルな親ほど、ついつい子どもをバイリンガルにしたいという過剰な期待を持ってしまいがちなものです。
一方で偏重バイリンガルであろうとセミリンガルであろうと、何とかして複数言語を習得した親は、『本人がやる気になってから始めても何とかなるもの』ということを自分が体験しているので、
「その時期は子どもにまかせてみよう」という気持ちにもなれるのです。
まとめ
今回の記事では、モノリンガルな日本人がつい安易に考えがちな『バイリンガルに育てる』ということについて考えてみました。
お稽古ごととしての英会話教室が無駄だとは言いませんし、それで子どもが英語を学ぶ楽しさを体感したり、海外に関心を持って視野が広がったりするのに役立つならば、ぜひ続けさせるのがGOODだと思います。
でも『言語』とはそもそもある国の『文化』の一つですので、言語単独で学ばせるというよりは、国の習慣、道徳なども一緒に学ばなければ、これまた目的を失った「偏った知識」でしかなくなるのです。
目指すべきは、『バイリンガル』ではなく『バイカルチュラル』なのかもしれません。
ただ、子どもは覚えるのも鬼速いですが、忘れるのもアッという間。
親も子も、バイリンガルもバイカルチュラルも、日本で目指すなら『鬼の継続』が必要です。
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