一見『アクティブでみんなとワイワイやるのが大好き!』みたいなタイプに見られがちですが、実は明るい引きこもり、一人でいるのが大好きな、のりこです。
基本ネクラなので一人でいるのが大好きなのですが、それでもたまには、仲良くなった人と『一緒にランチでも行きたいな〜』とか、『飲みにでも行ってゆっくり話したいな〜』なんて思ってしまいます。
で、いざお友達をランチに誘う段になると、急に色々心配になってきてメールを打つ手が止まる小心者。
ただのランチに誘うにも、誘う文面をあれこれ考えて、『断られたくはないけど、相手に断る余地もちゃんと残すような誘い方』に気をつけてみたりと、とにかくメール一本送るのにもムダに消耗してしまう。
こんな風に、『人を誘う』のが苦手な人って、世の中にけっこういるのではないでしょうか。
少なくとも私は、超苦手でした。( ´ ▽ ` )
でも、
私の経験を踏まえて断言しますが、『人を誘うのが苦手』というのは、考え方をちょっと変えるだけで、けっこう余裕で克服できます。( • ̀ω•́ )✧
目次
『人を誘う』のが苦手な理由
誘いたい人を、誘いたい時に誘う。
たったそれだけのシンプルなことなのに、あれこれ余計なことを先回りして考えては、『やっぱりやめておこう』と誘うのを断念してしまう人、けっこういます。その理由は大きく分けて以下の3つです。
① 断られるのが怖い
勇気を出して誘ってみたが、相手の反応によっては立ち直れないほどの心の傷を負ってしまう人。
- 『用事があっていけない』と言われれば、きっと私と会うのが面倒なんだなと悲観し、
- 『しばらく忙しい』と言われれば、『もう誘わないでくれ』と解釈し、
- 『行けない』とぶっきらぼうな短い返事だった日には、完全に嫌われたと思い、
- 返信がなかったりしたら、それはその人との関係は終わったことを意味する。
こんな勝手な意訳の仕方で相手の返事を受け止めてしまうので、傷つくくらいなら、と誘うこと自体を避けるようになってしまいます。
② 相手が返事に困る姿を見るのが怖い
人を誘うのが苦手な人は、とにかく相手の表情や顔色をよく見ていて、『答えるのに少し間があった』とか『ちょっと目が泳いだ』とか『一瞬顔が引きつった』などなど、ほんのわずかな相手の感情の動きを見逃しません。
その【読み取った相手の感情】が、正解か不正解かは、実は相手にしかわからないことなのですが、このタイプの人たちには、
『私が安易に誘ってしまったがために、この人は今、断る理由に困っているに違いない』(๑º ロ º๑)
と勝手な思い込みを膨らませては、申し訳ない気持ちになってしまうのです。
のりこ
③ 誘ったのに楽しくなかったら、、の恐怖
思い切って誘ってみた相手からの返事が、まさかの『OK』だった。
その時はやっぱり嬉しいもの。『やっぱり思い切って誘ってみてよかった!』なんてホクホクしているのもつかの間、今度は次なる不安が押し寄せます。
来てくれた相手を楽しませなければならないという謎の使命感 ( ゚∀゚)
です。せっかく来てくれたのに、『なんだ、つまんないな』『早く帰りたい』
なんて思われたらどうしよう、と段々と不安になってくる。今回もし盛り上がらなかったら、もう次はないかもしれない。
中には当日相手と合流してからも、自分が誘ったこのランチを楽しんでくれているのか、美味しいと思ってくれているのかばかりが気になって、肝心の会話の方が注意散漫になってしまうなんてことも。
誘うのが苦手な人は、誘われるのも苦手
人を誘うのが苦手という人のほとんどが、『自分が誘われること』も超苦手だったりします。
その理由は簡単、『断れないから』です。( ´ ▽ ` )
【人を誘えない】のと【人の誘いを断れない】、この二つは無関係なようで実は表裏一体。その心は、どちらも『相手に嫌われたくない』という心理から来ています。
誘われるのが苦手な理由
① 断ったら嫌われるかもしれない
相手からの誘いを断れない理由の主たるものは、
自分が断ることで相手に『拒絶』を味わわせてしまうのではないかと言う恐怖。
だって、自分が断られたら『自分を全否定された』ように感じてしまうんですもの、当然相手もそう思っているはず。
と思ってしまうのがこのタイプの特徴的な考え方です。
- 断ったらもう一生誘ってもらえないかも
- 断ったらみんなに自分の悪口言われるかも
そんな冷静に考えたらちょっとバカバカしいようなイメージが、どんどん湧いてきてしまうのです。
② 断ったら傷つけるかもしれない
せっかく誘ってくれているのにそれを断ってしまう。
それはまるで、相手の好意を無下にしているような気分になってしまうのです。
そしてここでもまた、もし自分だったら、『断られたら傷ついてしまう』ので、それを相手に投影してあたかも相手もそう思っているように錯覚しているのです。
だから、本当に用事があって行けない時には、
- せっかくお誘いなのに行けないことを詫び、
- なぜ行けないのかを事細かに説明し、
- これに懲りずにまた誘ってほしいと伝える
というバカ丁寧すぎる『言い訳』がましい長文メールを送りつけたりしてしまうのです。
でもこれだって結局は、自分が誘った時に『行けません』と一言で返された時に自分が
- せっかく誘ってあげてるのに、
- 断るにしてももっと言いようがあるだろうに、
- もしかして私のこと嫌いなのかな
と感じてしまうことに起因するものなのです。
本当にその人が『自分のことを嫌いだからぶっきらぼうに答えた』かどうかは、誰にもわからないことですし、自分にはむしろ関係のないことなのです。
『断っても、断られてもOK』。変えるのは自分の受けとめ方
人からの誘いを断ったら、相手を傷つけたり嫌われたりしそう。
そう思ってしまうから簡単には断れない。
そう思っている人のほとんどは、自分がされた時には『傷ついて』『嫌いになる』からそういう発想が出てくるのです。
自分が誘ったことに対して、たとえ答えがNOだったとしてもそれを個人的な感情と考えず『都合が合わなかった』とさっくり受け流すことができる人ならば、自分自身もさっくりと悪気なくNOと言うことができるというわけです。
誘ったり断ったりしたことで相手がどう思うかは、ぶっちゃけ相手のことであって、自分にはどうにもならない領域。
わかりもしないし変えられもしないことを勝手に想像して、不安や恐怖を感じるのは、完全に無駄な消耗にしかなりません。( ̄▽ ̄)
そして自分が変えられるのは、自分の気持ちだけ。
なので、人を誘ってみて断られた時には、『断られても自分が否定されたわけではない』ということを繰り返し自分に教えていくことで、自分の中でもそれが許せるようになってくるのです。
まとめ
今回の記事では、つい他人目線の思い込みから避けてしまいがちな『人を誘う』ことや『誘いを断る』ことについてご紹介しました。
すべては自分自身がどんなフィルターを通して世界や人を見ているか。
これによって見え方や考え方が大きく変わってくることがわかりました。
自分のフィルターが、自分の過去の体験だけで作られた『思い込み』で汚れていれば、相手の顔も汚れて見えるもの。
だけどそれは自分のフィルターのせいであって、本当に相手の顔が汚れているかどうかは、フィルターを外して見るまでは『わからない』のです。
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