こんにちは、のりこです。
先日こんなツイートをしました。
カフェやファミレスで仕事をしていると、すごく目につく「行儀の悪いこども」と、それを「注意しない親」。反抗期かなんか知らんけど、靴のままソファーに片足のせてる女子中学生。それを目の前で見てるのに何も言えない母親。しつけしろ
— なとのりin Sendai (@noringorin) September 2, 2019
いや、たしかにそうなのよ、どこに行っても本当によく見かける、『行儀の悪い子ども』。
私がけっこうギョッとしてしまうのが、スーパーのレジカウンターやサッカー台(買ったものを袋詰めする台)の上に座ったり歩いたりするヤツね。
そこは食べ物を置くところであって、貴様のきたねーケツや靴を乗せていい場所ではない。( *`ω´)
だけど、子どもは子ども。そういう事を悪気なくする生き物なんですよね。
たとえそれが、このツイートした親子のように、もう思春期くらいの大きい子だったとしても、です。
でも問題なのは、そんな子どもの『迷惑』な行為ではなく、それを【叱れない親】の考え方なんです。
目次
親が子どもを叱れない/叱らない理由
子どもが明らかに行儀の悪い行為をしたり、他人に迷惑をかけていたとしても、最近ではそれを叱らない親が本当に増加しています。
何だったらいたるところで毎日のように見かけるので、それを見ているだけでもなんだか疲れてしまいますよね。そして、
『行儀悪い子』と『叱らない親』は基本的にいつもセットで出没します。
私だったらとっくにもっと早い段階で『注意する』くらいはしているだろう状況でも、なーんにも言わない親たち。
そんな彼らが子どもを叱らない理由は以下のようなものなのだそうです。
① 子どもと『友達みたいな』関係になりたい
子どもと常に対等でありたいという信念なのか、ただただ友人同士みたいな親子関係に憧れているのかわかりませんが、まるで親子の中身が入れ替わったのかと思うほど、親に対して命令したり、威張る子どもがいますよね。
中には『お母さん』『お父さん』と呼ぶ代わりに、子どもが親の名前を呼び捨てにする家庭もあるくらいです。
そんな関係を築いている親は、いつもどこか子どものご機嫌を伺って生きているので、子どもの行儀が悪くても『上からガツンと叱る』なんてことができないのです。
② 『褒めて育てる』を履き違えた
海外の子育て術はこうだ!みたいな情報が増え続ける中で、日本のお母さんたちを惑わせるのが『褒めて育てる子育て』ってヤツですわ。
それを履き違えた人は『叱る』と『怒る』の違いもわからずに、とにかくただやみくもに褒めるだけなので、すっかりわがままな子どもを作りあげています。
③ 人前で子どもを叱る事が『迷惑』だと思っている
たしかに親が子どもを叱っている姿って、見ていて面白いものではないですよね。
だけど周りは内心、『そうそう、ここはしっかり親がきつく言い聞かせないとね!』と子どもを叱る親をサポートしてくれています。
ところが中には、『まぁまぁそんなに怒らなくても・・』なーんて、叱る親を咎めるババァとかが出てくる。叱っている母親に、『こんなところでみっともないから』と恥ずかしそうに止める父親がいたりする。
すると、子を持つ親の中には、『子どもを人前で叱るのは他人に迷惑をかける』と思い込む人が出てきたりするのだそうです。
④ 人前で叱ると『児童虐待』だと思われそうでできない
そしてこれもまた『叱る』と『怒る』の区別がついてないケースですが、人前で子どもを叱っていると、
『うわ、あの母親こわー。まさか虐待・・?』
なんて思われているのではないかという恐怖心が生まれます。
確かに『ちょっとその口調はあまりにも乱暴でしょう』と思うような親もお見かけしますが、基本的には世の親たちは自分の子どもを叱るにもそのトーンやボリューム、言葉遣いに気を使わなければいけなくなったのです。
『迷惑』についての思い込み
巷の『叱らない親』たちが、【子どもの迷惑行為を叱ること】の方が【迷惑行為】だと思いこんでいるという事実にはちょっとびっくりしました。
では、『迷惑』とは一体何なのでしょう。
ある行為がもとで、他の人が不利益を受けたり、不快を感じたりすること。また、そのさま。(コトバンクより)
調べてみるとこんな意味なのだそうですが、確かに自分の行為で他人様が不快な思いをすることは、『迷惑』だと言えますよね。
どの家庭でも日本人は、子どもの頃から過剰なまでに
『他人様に迷惑をかけるな!』
と言われて育ってきました。
どんなに勉強ができても、どんなにスポーツ万能でも、どんなに素晴らしい才能を持つ子だったとしても、『他人に迷惑をかける』ような子どもは良い子としては認定されないわけです。
そしてその基準は人それぞれバラバラで、自分が『迷惑』と思っていることでも、他人には全然『迷惑』でないということも多々あるのです。
日本独特の生きづらい『迷惑』の常識
日本では特に『子連れ』に対する風当たりがとても強く、ママたちが非常に生きづらい思いをしているのが現状です。
- バスや電車など公共の乗り物でのベビーカーはNG
- 公共の場で子どもが泣き叫ぶのもダメ
- 妊婦が満員電車に乗るのも嫌な顔をされる
子どもができたその瞬間からママたちはこんな世知辛い現実を切り抜けないといけないのですが、それが『迷惑行為』という扱いを受けるのが、日本という国なんです。
のりこ
ちなみに私はシンガポールに7年間住んでいましたが、海外では子連れに対する意識はこの真逆です。
誰もが道や電車のスペースを空けてくれたり、子どもが泣いてもイヤな顔一つせずあやしてくれたりもします。
『迷惑』をかけずに生きる、なんてムリ
『他人に迷惑をかけてはいけない』とずーっと言われてきた日本人ですが、本当は人と人との繋がりの中で、誰にも『迷惑』をかけずに生きるなんて、到底ムリなことだと思うのです。
だって、それぞれの価値観も違う中で、必死に『迷惑かけるまい』と細心の注意を払って頑張っていても、無意識のどこかで他人に『迷惑』がかかっていることだってあるわけです。
それは、『迷惑』の概念がそれぞれ違うから。
だから、逆を言えば、自分が『これは迷惑に決まっている』ということでも、相手にとってはなんでもないことだったりするのです。
そしてむしろ、『他人に絶対に迷惑をかけてはいけない!』と厳しく自分を律したりしている人ほど、自分の行動に罪悪感を感じやすかったり、他人から被る『迷惑』を許せなかったりするのです。
まとめ:『迷惑』はお互い様、むしろ『迷惑』かけていい
この『迷惑』に関して本当に考えさせられたのが、私の母が病に倒れ、介護が必要になったときでした。
私の母はどんどん自分の体が動かなくなっていく中でも、
親たるもの、自分の子どもにだけは迷惑をかけたくない、子どもの人生をジャマしたくない
といつもいつも言い続け、娘の私にさえ弱音を吐いたりせず、お世話も最低限で済むように病人があれこれ気を使っていました。
でも、その時に思ったんです。
母が思っている『迷惑』は、子どもの私にとってはちっとも『迷惑』なんかじゃない
ってこと。だからなんだったらもっと『迷惑』かけてくれと思っていました。
これまでたくさん『迷惑』をかけてきた母だからこそ、こんな時に私に頼ることを『迷惑』だと思わないでほしい、と。
だから、『迷惑』にも本当に色々あるってことなんです。
かけていい『迷惑』と、かけてはいけない『迷惑』。
『迷惑になる』迷惑と、『迷惑にならない』迷惑。
すべてがダメなんてことは、絶対にないんです。
だから『他人に迷惑をかけない』ように努力するよりも、『他人の迷惑を許せる』努力をした方が、よほど建設的なのだと思います。
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