シンガポールから帰国して9年の月日が経ち、バスや地下鉄もちゃんと並んで乗れる善良な市民になりました、のりこです。
25歳の時に、夢だった海外転職を実現させてシンガポールに単身移住しました。
激動のシンガポールで『現地採用』として働き、移住5年目にはシンガポールの永住権も取得。シンガポール人の彼と婚約もしていたのでこのままいけば、シンガポールで結婚、出産、そして
『シンガポールに骨を埋める』
という流れになるのが自然でした。
でも、全部やめました。
結論からいうと、シンガポールに渡ってから7年後、悩みに悩んだ末、私は日本に帰国することを決めます。
今回の記事では、私が海外移住を果たしたものの、帰国という選択肢をとるに至った理由や経緯などをお伝えしつつ、
- これから海外移住を考えている人に向けては「海外移住すると、こんなこともあるんだよ」ということを、そして
- 今海外に住んでいて帰国か在留か悩んでいる人には「帰国後こんな風に考え方が変わったよ」ということを、
参考までにご紹介したいと思います。
目次
シンガポールでの7年間の暮らし
海外転職を考えている人
『海外で働く』と聞くとちょっとかっこいいイメージがあったりしますが、実際に日々どんなことをしているのかとか、どんな環境で働いているのか、って実は全然想像がつかないですよね。
楽しいことよりも辛いことの方が多かった
誤解を恐れずにいうならば、私の7年間のシンガポールでの生活は、総合的に考えると楽しいことよりも辛いことの方が多かったと思います。
もちろんシンガポールは大好きな国。友達もできましたし、一緒に暮らすシンガポール人の彼もいてくれました。
だけど私の場合はとにかく仕事がキツすぎたというのが『辛かった』と感じる理由のほとんどでした。
かと言って、シンガポールで海外就職をする人みんながこんなにキツい環境に身を置いているかといえば全然そんなことはないんです。
巷には
海外就職の醍醐味は『仕事が楽』ということ♫o(^_^)o
なんてはっきりと言う人もいるくらい、その仕事内容は就職先の企業によって大きく変わるのです。
私の場合は、『海外で仕事をする』ことが目的になってしまっていたために、きちんとその内容を調査していなかったことが、ひいては『辛かった』記憶ばかりの海外転職ライフになってしまったというわけです。
▽関連記事:海外転職で失敗した経験について▽

のりこ
『ここに住めるなら死んでもいい』からの心境の変化
私にとってシンガポールは、高校生の時に海外研修で来て以来、すっかり『将来住む国』として勝手に運命的なつながりを感じていた国でした。
そして面接のために弾丸でシンガポールに来た時、その活気ある『南国の大都会』の匂いを思いきりすいこみながら、
『この国に住めるなら死んでもいい』
と思ったのです。
もちろん比喩ですけど、とにかくその時は面接に合格した過ぎて、そしてシンガポールに住みた過ぎて、『シンガポールに住めるならなんでもします』って神様にお願いしたのを覚えています。
そしてそのお願いが神様に届き、私は晴れてシンガポールに移住したわけなのですが、そこでの仕事のあまりのキツさに、こんな風に心境が変わっていくんです。
▽当時のブログより▽
終日の会議に加え、「明日の会議で必要だから」と無茶な量の資料の翻訳。またもや平均睡眠時間3時間の日々。さらに宿題までお持ち帰りすることになってまたハゲができそうな予感。。
香港に向かうフェリーの中で、
「ああ、このままこの船、沈まないかな」
とか
シンガポールに帰る飛行機の中で、
「ああ、このままこの飛行機、どこか違う国に行かないかな」
と現実逃避+失踪願望まで生まれるほどのつらい日々でした。
そろそろオー人事に電話する頃でしょうか。
とこんな感じに、最初のうちはどんなにキツくてもなんとかガンバれたものが、日に日に、自分も年齢を追うごとに、辛さが増していったのです。
『現地採用』であることの劣等感とやりきれなさ
シンガポールで働く日本人には、それぞれ違う雇用形態や滞在条件があり、主に以下のように分かれています。
- 駐在員
- 現地採用
- 起業家・事業主など
先述のとおり、私は『現地採用』として働いていました。
要は、「シンガポール人と同じ雇用条件で」雇われていたわけです。
▽関連記事:『現地採用』で働くってどういうこと?▽

厳密にいえば『現地採用』の雇用条件も企業によってその待遇はまちまちなのですが、ほとんどのケースは住宅手当などは出ず、もらった給料の中からすべて自分でやりくりします。
一方駐在員は、会社の命を受けて海外に出向してきているので、家や車、一時帰国の費用まで会社が面倒を見てくれるのが当たり前。
そうなるとどうしても生じるのが、
駐在員と現地採用の、生活レベルの差
です。
もちろん彼らには重大な任務やプロジェクトを全うする責任が重くのしかかっていて、大変なストレスを抱えているので、【日本ではできないような贅沢な暮らし】はその対価とも言えるでしょう。
でも会社によっては、意外と駐在員と現地採用との仕事内容が変わらなかったりするところもありますし、ぶっちゃけ英語に関しては現地採用の方がぶっちぎりでできるので、業務が多岐にわたり仕事量も多かったりします。
それでも、最初から『雇用の土俵』が違う駐在員と現地採用。
いい大学を出て、いい会社に入って海外に派遣された精鋭『駐在員』とは、張り合えば張り合うほど、現地採用はどんどんやりきれなくなるのでした。
のりこ
シンガポールからの帰国を決めた最大の理由
とはいえ、実は私が海外移住をやめて帰国することを決めるまでの直接的な原因には、『仕事がキツ過ぎたから』というのは、ないんです。
仕事はきつかったけど、ある意味ではやりがいもあったし総合的に見れば上司や同僚ともうまくやれて、時間をかけて少しずつ状況はマシになってきていました。
永住権も取得していたので、もしその仕事がイヤならシンガポール国内で転職することだって可能でしたしね。
私がシンガポールにもうこれ以上住み続けたくないと思った理由はそこではなく、
きつい仕事をこなした1日の終わりに、身も心も休まる場所がなかった
ということだったんです。
海外で、外国人として生きるのに疲れた
当然のことながら、日本人が海外で生きていくならその誰しもが『外国人』になるわけです。
『海外に住む日本人』は、日本で生きている日本人よりも『日本人』であることを求められます。
- 日本の政治はどんなか
- 日本の経済は、景気は、
- 日本の教育システムは、
- 日本の文化や歴史についてどう思うか
そんなの知るか!( *`ω´)
ってことまで、いつもいつも聞かれます。
またちょっとでも彼らの常識と違うことをすれば、
『日本人ってそうなんだ〜!(´⊙ω⊙`)』
と全日本国民ひとまとめに考えられてしまうのですからその責任も重大なんです。
ヤモリのいる生活に疲れた
もしかしたら、これが最大の理由と言ってもいいかも知れない。ヤモリです。
東南アジアに住むなら切ってもきれない関係のヤモリ。
見た目はちょっとぷっくりしたトカゲで、高層のコンドミニアムやホテルなどには滅多に出ませんが、ローカル色の強い住宅では普通に家の中にも出ます。
私は実物はもちろん、写真や置物なども見れない触れないくらいの爬虫類・両生類恐怖症で、家の中にヤモリがいるかもしれないというだけで、体が固まって動けなくなってしまうくらい苦手だったのです。
ヤモリは基本どこにでもあらわれるので、ある日はキッチンの戸棚を開けたらポタリと落ちてきたり、ある日は寝室の天井に張り付いていたり、時には窓のサッシに力尽きた屍が挟まっていたり。
思い出すだけでも身の毛がよだつ、恐怖体験です。(T ^ T)
食器棚の中もウロウロするので、家でお皿やコップを使うときはいちいち洗ってからじゃないと落ち着かない。
ゴキブリのようにスプレーやホイホイでやっつけたとしても、近寄れないのでその始末にも困る。

私が住んでいたHDB(公営住宅)の部屋。ここはヤモリが出すぎたので引っ越しました。
いつも一時帰国で日本に帰ると、家の中にヤモリがいないことに心からホッとできたものです。
『一生共働き』の未来に心が疲弊した
シンガポールでは、一生共働きが当たり前。
女性は結婚しても出産しても、普通に仕事にフルタイムで復帰して、子どもや家族のためにバリバリ金を稼ぐ。
▽関連記事:シンガポール人の子育ての考え方▽

日本でも共働き世帯はとても増えてはきましたが、シンガポールの場合は子どもができても『人に預けて自分は働く』のが常識。
しかも旅行ではなく『住む』となったら、家も車も頭おかしいのかと思うほど高すぎて、とにかくシンガポールで生きていくには『働き続ける』しか選択肢はないんです。
シンガポール人の彼と婚約して新居や車を見にいった時に、そのおぞましいほどの金額と、それを払うために組むであろうローンの額、また私が現地採用の外国人であることによるハンデ(借り入れ上限額が違う)なども相まって、
ここに住み続ける意味ってなんなんだろう (・・?)
とシンプルに疑問に思ってしまったというわけです。
のりこ
まとめ:帰国後の気持ち
そんなこんなで日本への帰国を決めた私でしたが、その決断に後悔がなかったかというと、
1ミリも、ないです (`・∀・´)
もちろん今でも海外は大好きですし、シンガポールは第二の故郷と言えるくらい愛してます(^o^)
でも、実際に住んでみた私の感想は、
『シンガポールは住むよりも訪れる方が楽しい』
ということ。
また、移住をやめて帰国したからと言ってその国との関係がすっかりなくなるかといえば全然そんなこともなく、実際に私は今、シンガポールでの経験を元にブログを書くという仕事をしているわけです。
海外移住している人の中には、身も心も拠点をそちらに移し、一生日本には帰らず海外で暮らし続ける人もたくさんいます。
そんな人たちと、たった7年間で帰国した私との違いは、
自分の身も心も休ませられる環境を、自分で作りあげることができたかどうか
なのではないかと思うんです。
それはある意味では、
今ある環境や、その選択をしてきた自分自身を『受け入れられるかどうか』
ということ。
私もヤモリとの共存を普通に受け入れられていたら、今でもシンガポールに住んでいたかもしれませんね。
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